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台湾文学ベースについて

文化・歴史的資源と建築

台湾文学ベースは、台北市斉東街の日式宿舎群のなかにあり、台湾では珍しいほど保存状態の良い歴史的建造物です。「文化資産保存法第一版」のもと外見を建設当時のまま保っており、敷地内には市定古蹟が1か所、歴史的建造物が9棟あります。地域の豊かな歴史と市民の経験との結びつきを垣間見られるほか、台北に現存する唯一の日式宿舎群の再利用事例としても、現代的な意義を持っています。
碁盤の目のような台北の中心部にあり、済南路と忠孝東路の間をはしる斉東街。にっこりと笑う口元のようにカーブしたこの通りの笑顔の裏には、長い歴史が秘められています。200年以上前の清朝時代、ここはかつて「三板橋街」と呼ばれる古道で、松山そして基隆にまで通じていました。当時、この場所には水田や池、水路が広がっており、その間をまだ名前のない斉東街が曲がりくねって、その上を米や石炭が運ばれていたのです。
日本統治時代の1920年から1940年には、総督府によって日式宿舎がこの場所に建設されます。同時に、様々な産業の会社や工場が次第に集まりはじめ、商業活動も盛んになり、地域組織「城東会」が結成されます。「城東会」は講演会や演劇・舞台・映画鑑賞などのイベントを度々催し、当時のカルチャー熱をつくりだしました。
戦後になり、政府はここを政府職員の寮として利用するようになりました。時の空軍副司令官であり、後に空軍総司令官や国防省参謀総長を歴任する王叔銘少将も済南路二段27号の住人でした。そのことから、王叔銘が1992年に転出するまで、この古い日式建築は「将軍宅第」とも呼ばれました。2000年になり、市内中心部に位置する斉東街の日式宿舎は、急速な都市開発のなか解体の危機に直面します。しかし幸いにも、幸福里の地元住民らは、これらの建築物や古い樹木が地域の環境保護の一環であると見做し、2002年に「斉東文化歴史スタジオ(斉東文史工作室)」を設立します。そして、住民や研究者らの努力によって、隣接する9棟の日式宿舎が文化財として保存されることになるのです。 こうした流れ自体がいま、「台北市民にとって大変重要でかつ価値づけ出来ないほどに貴重な歴史文化的な経験」として評価されています。
都市開発が進み、新しい住宅や学校、工場の建設と共に「三板橋街」は地図からゆっくりと姿を消したものの、笑顔のようにカーブした済南路と忠孝東路の間の道は、そのころの記憶を留めています。2009年、台湾の文化部は台北市文化局に斉東街の日式宿舎(済南路二段25号、27号)の修繕を要請、この歴史的建造物は「斉東詩舎」と名付けられました。さらに2014年7月には、国立台湾文学館が「斉東詩舎」の運営を開始し、文学振興のための展覧会やイベントを行うようになりました。そして2021年に斉東街53巷の建物の修繕が完了し、イノベーションと文化を継承する「台湾文学ベース」が正式にオープンしたのです。

1935

日本統治時代の総督府および重要高官向けの宿舎として使用

1949

空軍総司令部少将の王叔銘副総司令が27号棟へ転入
中央銀行職員の周彭年氏が25号棟へ転入

1992

王叔銘将軍が官邸から転出

1994

周彭年氏の夫人が官邸から転出

2002.12.7

斉東文史工作室が斉東宿舎保全の署名活動を開始

2002.12.8

台湾銀行が斉東街53巷の12、14、16号棟を強制解体

2006

斉東宿舍群と老木街は、「台北市中正区斉東街保存区・集落風貌保存特定専用区」に指定

2011.1

文化部が台北市政府文化局へ済南路二段25、27号棟の修繕を依頼し、斉東詩舍と命名

2014

国立台湾文学館が斉東詩舍の運営を開始し、文学の推進で台北市内の新たな文学スポットへ

2020.10.6

齊東詩舍が「台湾文学ベース(台文ベース)」に変すると共に、お試し運営する。 お試し運営の間に沢山の講座とクロスジャンルを開催した。 皆の生活に文学の雰囲気を囲まれるようにする。

2021.1.18

文学と文化の革新的な実験に専念し、台湾文学のさまざまな可能性を探求する台湾文学基地のグランドオープンは、複数の革新的なモデルを開発し、作家と読者の間の双方向コミュニケーションを促進し、新しい文学を刺激することも試みます外観

台湾文学ベース 日本式宿舎群の特徴

台湾文学ベース(台文ベース)に足を踏み入れると、目に映る暖簾に日本のスタイルが十分に感じられる日本式宿舎群です。このエリアは「和洋折衷」式の建築様式を採用しています。こちらの建物の外見スタイルは幕末時代の横浜に由来し、明治維新後に日本の各地で相次いで建設され、日本統治時代の台湾では各地で建てられました。洋風建築と和風建築の要素が混ざっていたことがその特徴です。
建物をよく観察してみると、台湾の湿気と雨の多い気候に対応するために屋根の形は「寄棟造り」を採用していることがわかります。四方の傾斜で風と雨水を分散することができます。屋根が黒い日本の瓦で覆われ、屋根の端には鬼瓦が使用されています。

画像:寄棟造り

寄棟造り  撮影:林柏樑

画像:日本瓦

日本瓦 撮影:林柏樑

画像:鬼瓦

鬼瓦 撮影:林柏樑

画像:下駄箱

下駄箱 撮影:林柏樑

画像:付書院、床の間、床脇

付書院、床の間、床脇

画像:雨戶

雨戶

建築修繕のコンセプト

済南路二段の正面入口から入ると、最初に見えるのは、読書館と斉東舍の2つの日本式宿舎です。 2棟の建物の内部は、下駄箱、床の間、床脇、付書院、雨戸収納棚、雨戸、配膳窓、書斎、掃き出し窓など和風建築の要素と関連する伝統的な家具がそのまま保存されています。
斉東舍は「元の外観を維持する」という修繕戦略を採用したため、元の構造、材料、工法を最大限維持しています。もともと綿布団や洋服が入っていたたんすが文化遺物を展示するショーケースに変身し、お客様は歴史ある建物の中で展示品の見学をお楽しみになれます。
また、読書館のレイアウトが大きく変更されました。建築士は修繕の際に天井を開けて建物本体の木造構造をあらわにして、新旧の素材を組み合わせた開放的な修復設計案を提案しました。元の和風建築の座席スペースは、下にくぼんだアクティビティスペースに生まれ変わりました。お客様は下に窪んだ畳と木製の椅子でリラックスしながら、優雅な読書環境に浸ることができます。
文学ベースに入って斉東街53巷側を歩いてみると、小さな日本式宿舎が5棟見えてきます。 新しく復元された5棟の日本式宿舎は、外観と内部のレイアウトが似ていますが、各建物の復元の様子にじっくり観察してみると、建物自体との時間の物語を伝える建築士の創意工夫が感じられます。一番内側にある繆思苑は最も完成された和風建築様式を保っており、日本式宿舎の内側から外側まで観察すると修繕で使用している材料が徐々に現代化されていることがわかります。現代に至るまで進化の様子と生活で必要とされている変化を見せることがその目的です。
斉東街53巷側の前庭から日本式宿舎の裏庭まで伸びており、前庭は和風の中庭へ設計・復元され、裏庭には通路が木製のバルコニーまで延び、ベランダから伸びる赤レンガの壁が設置、復元された空間には違った時代の感覚を感じさせるデザインが施されています。

画像:修復後の台文ベース園区には新たなスペースとアクティビティ機能が追加されました。

修復後の台文ベース園区には新たなスペースとアクティビティ機能が追加されました。

画像:悦読館は「外観を保ったまま、内部を柔軟に対応する」を修復方法としています。

悦読館は「外観を保ったまま、内部を柔軟に対応する」を修復方法としています。

画像:齊東街53巷のそばに並ぶ五棟の日本式宿舎は、異なる時期の入居者の生活空間と特徴がそのまま残っています。

齊東街53巷のそばに並ぶ五棟の日本式宿舎は、異なる時期の入居者の生活空間と特徴がそのまま残っています。

画像:公園の前方と後方を結ぶ木造の建物には独特の食事スペースをご用意しています。

公園の前方と後方を結ぶ木造の建物には独特の食事スペースをご用意しています。

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